川嶋先生と考えるアフターコロナの「働き方」(第三回)
(第二回はこちらから)
牧野:
ところで、アフターコロナで意識が逸れてしまっているようですが、中小企業における労働基準法を始めとする労働関連法に対する理解が、経営者・労働者双方が、勝手な理解をしている部分も多くなってきていると感じます。
労働法規そのものを理解すると共に、就業規則についても御著書の中でも丁寧に解説されていましたが、基本に立ち返り、労働法が持つ意味から、現在の課題について、御意見をお聞かせください。
川嶋:
労働法はもともと、様々な面で立場の強い会社から立場の弱い労働者を守るために生まれたものです。なので、経営者の方々がよく、労働法は労働者にばかり有利になっている、と文句を言いますが、それは法の成り立ちからしてしょうがないことなのです。
牧野:
確かに、成立の背景からは、労働者有利の傾向は出てしまうということですね。
川嶋:
はい。ただ、これはわたし自身がインターネット普及以前の働き方を知らないので憶測になってしまうのですが、インターネット普及以前は労働法の中身を労使共にあまり知らなかったことから、会社側が好き勝手できたのだろうと思います。
そして、そうした状況がインターネットの普及や近年のブラック企業批判によって変わってきたのが今の状況だと思います。
牧野:
あまり知らないところで第二次世界大戦後には、激しい労働争議、ストライキは歴史で学びました。
川嶋:
労使間での協議ですらまともに行われているかあやしい現在と比べると、考えられないことですよね。
ただ、第二次世界大戦後の激しい労働争議の背景には政治的な理由、具体的には共産党員による活動があったと聞いています。会社から給与をもらいながら労働組合の活動に専従する人たちがいて、そういった人たちが活発に、ときには暴力的に活動を行っていたわけです。
しかし、1949年の労働組合法制定、施行の際に会社から組合への財政援助の禁止が明確化されると、こうした運動は下火になっていったようです。
ここからはご質問の労働法における現在の課題について考えたいと思うのですが、個人的には労働法自体の課題と、労働法を扱う側の課題があると思っています。
まず、労働法自体の課題については、もともと今の労働法が工場での労働を基準にしていることだと思います。
現在の労働基準法の基となった法律は戦前の工場法ですが、こうした背景から労働基準法は「労働時間=賃金」という考えに支配されています。
しかし、現代においては本当に「労働時間=賃金」なのか、疑問に思うような働き方が多数ありますし、労働時間かそうでないかの境界線が非常にあやふやな働き方もあります。
一方、労働法を扱う側の課題としては、まさにおっしゃるとおり労使双方が勝手な理解をしていることだと思います。先ほどの「労働時間=賃金」の話でいうと、「労働時間=賃金」であることを厳密にやればやるほど、労働者側は時間外手当を会社からかすめ取れると思っているかもしれませんが、会社としてもその対抗として、労働時間管理を徹底的にやらざるを得なくなります。
牧野:
なるほど。双方で権利化していけば、そのシワ寄せが違ったカタチに出てしまうような気がしてなりません。インターネットや噂話など風評に流されない学習が必要です。
身近なところでは、どんな例がありますか?
川嶋:
例えば、最近だと労働者側が朝の掃除や着替えの時間も労働時間だと主張してくることが増えています。もちろん、それは間違ってはいないことも多いのですが、一方で、会社側は、タバコの時間や、今だとテレワーク中のちょっとした中抜け時間のような厳密には労働していない時間を労働時間として扱っていることがあります。
しかし、労働者側が強固な態度で来るなら、会社側も甘い考えを捨てて労働時間かどうかを厳密に管理せざるを得なくなるので、結果、会社も労働者も非常に窮屈な働き方を強いられることになります。
働き方改革関連法でようやく「労働時間=賃金」ではない働き方として「高度プロフェッショナル制度」がなんとか導入されましたが、その過程で起こった猛烈な反対運動を見るに、労働法を労働者の利益に反する形で改正することは、それが本当は労働者にとって利益になるとしても、今後も政治的にとても難しそうに感じます。
牧野:
労働法の成立過程と現状、課題についても教えて頂いたところで、コロナ禍の以前には、ワークライフバランスの推進が活況でした。この点について、疑問があります。
今もワークライフバランスについて、それら実施は脈々と続いているとも思われます。
『資生堂インパクト』の書籍の中で「資生堂ショック」という、子育てを聖域にしない発言が話題となりました。
育児休業制度や介護休業制度は普及し、それら現実の狭間で「困っている人」がいる一方で、ワークライフバランス重視の人生設計を極端までに実現しようとする傾向は、今も広まっているようですが、ワークライフバランスの考え、社会の受入れられ方からは、経営者はなかなか抵抗しづらい現状にあります。
「働き方改革」の書籍を著された川嶋先生には中小企業経営者の御相談も多くあると聞きます。労使双方にとって、理想的な「働き方」「職場の在り方」について、教えて下さい。
川嶋:
ワークライフバランスでいうと、とかく女性の子育てや育休制度の充実というライフの面で語られがちですが、一方で、育児休業を短くするという方向性もあると思います。
というのも、過去の研究で「出産は女性の将来所得を最大2、3割減少させる一方で、こうした出産ペナルティは育児休業から短期間で復帰し、かつ労働時間を減らさないことで回避できる」という結果があるからです。
参照 https://www.jcer.or.jp/column/otake/index894.html
牧野:
出産ペナルティという言葉には違和感を覚えますが、考え方としては何が大切ですか?
川嶋:
出産ペナルティという言い方は非常に経済学的な言い回しなので、違和感があるのは当然だと思います。実際、わたしももう少し他の言い方はないのかなとか、こういうところが経済学が一般に受け入れられないところなんじゃないかなと思いました。
上記の研究結果に話を戻すと、実は上記の結果は「女性がキャリアを高めていく上で、仕事へのコミットメントが強いこと、長時間労働や短期間の育児休業取得によって明示的なシグナルを会社に送ることが重要になっている」ことを示しています。なので、ワークライフバランスという意味では、育児休業を短くすることに納得できない人もいるかもしれません。
ただ、それでもわたしが育児休業の短縮を提案するのは、ワークライフバランスというなら、ライフだけではなくワークをより充実させるという方向性がもう少し議論としてあってもいいのではと思うからです。
もちろん、理想は十分に育児休業を取って、その上で元のキャリアに戻れることなのは間違いありません。しかし、現状ではそれがすぐに達成されるような状況でもないのも確かです。
そして、キャリアのために出産を諦めている女性や、出産によってキャリア諦めている女性がいる中、出産したとしてもキャリアを継続できる働き方があることを知ってもらうのは非常に重要なことだと思います。
また、育児休業の短縮という意味では、今期の国会の育児介護休業法の改正で導入された育児休業を2回に分けて取得できるという制度に注目しています。2回に分けて取得できるということは「試しに」早期に仕事に復帰する、ということが可能になるからです。
ワークライフバランスの話はこのくらいですが、その次の理想的な「働き方」「職場の在り方」については・・・、凄く難しいですよね。例えば、ある人にとってその職場は理想的であっても、別の人から全然そうではないことなんて山ほどあるわけですからね。
牧野:
ここにも価値観の違いや主観的評価が存在しますね。身近なところで例がありますか?
川嶋:
うちの事務所の話をさせてもらうと、うちの事務所で働いている事務員の方々って、みんな女性で、主婦で子供もいて、いわゆる130万円の範囲内で働いてもらっています。
そして、子供の行事は最優先なので、どんなに忙しくても授業参観や運動会、入学式・卒業式等には出られるよう、みんなで協力しています。
でも、こうした働き方って「130万円の範囲内」というところを受け入れられる人なら問題ないと思うのですが、そうではなくてもっと稼ぎたい、という人の場合、そもそも働こうとは思わないと思います。
実際、過去には家庭の事情でパートではなく正社員で働きたいという人がやめていったことがあります。
牧野:
最低時給が各地で上昇していく中で、年末にかけて出勤調整も増える傾向にあります。
川嶋:
それも頭の痛いところで、うちの場合は年末が非常に忙しいことがわかっているので、1年の始めからかなり慎重に調整をしているので問題ないのですが、他の会社だと年末の最後の給与で失敗しているところをときどき見ます。ただ、社会保険の130万円に関しては向こう1年の見込み額でみるので、厳密に言えば、年末だけ給与が多くて、結果、年収が130万円以上になってしまったとしても、それが昇進や昇給をともなわない一時的な収入増の場合、社会保険の扶養から外れる必要はありません。この辺は1月から12月までの収入で厳密にみる税制上の控除とは違うところですね。
理想的な「働き方」「職場の在り方」に話を戻して、それでも、と考えるなら、労働者の「働き方」に関しては、その労働者にとって最優先のことが満たされるところで働くのが良いのかなと思います。最優先のことが満たされなかったり、あるいはそもそもなかったりすると、何をしていても幸せになれないような気がします。
一方で、理想的な「職場の在り方」については有り体ですが、お互い助け合えることが一番のような気がします。
牧野:
「お互い助け合えることが一番」とは重い言葉です。しっかりと考えていきたいですね。
さて、私たちTNCが応援していく中小企業にとって、従業員とその家族が働いて幸せになる経営を実現すると、長く多くの方が働いていける社会を実現できると思われます。
近著には『定年後再雇用者の同一労働同一賃金と70歳雇用等への対応実務』では、それこそ、定年後の働き方について述べられていらっしゃる点について、中小企業も努力されている現状を踏まえて、コメントをお寄せいただけますと幸いです。いかがでしょうか?
川嶋:
これはあくまでわたしの主観ですが、中小企業、特に組織化があまり進んでいないような会社の方が、高齢者が長く働いているという印象があります。主観であると断ったのは、国の統計だと集計方法の関係上、30人以下の事業所が実際にどうなっているかわからないからです。
ただ、こうした会社の場合、定年はあるけど定年後も働いていたり、そもそも定年自体がなかったり、といった会社が少なくなく、加えて、そうした会社の高齢者の多くは定年前と変わらない給与と働き方をさせているところが多くあると感じます。
牧野:
確かに。ゆるやかに、しっかりと存在感がある高齢者が働き続けているところは、制度的なフォローでない場合も多いですね。みんなの総意で、「いてもらっている」感じがします。
川嶋:
そうなんです。実際、わたしも「就業規則には定年が65歳って書いてあるけど、今、○○さんが67歳で働いてるんだけどいいのかな」といった相談を受けたりもします。
定年がなかったり定年はあるけど定年後も働かせていたりする理由は、人手不足や後継者不足など、あまりポジティヴな理由でないことが多いですが、理由はどうあれ、そうした高齢者を雇用している会社は、まずは大企業等にできていないことをできていることを誇りに思って良いのかなと思います。
牧野:
理由の如何を問わず、中小企業の現状には胸を張ってもらいたい。
川嶋:
はい。また、当然、大企業等の真似をして「定年再雇用、賃金大幅減」みたいなことをする必要もないので、戦力として働いてくれるあいだは戦力として扱ってあげれば良いと思います。
一方で、そうした会社の場合、高齢者を長く働かせている理由が理由なので、高齢者に長く働いてもらうこととは別に、人材や後継者の確保が人事労務上の課題としてあると思うので、それをいかに解決していくかも重要かと思います。
牧野:
川嶋先生の一言一言に「優しい気持ち」になりました。
まだまだコロナ禍下で、気持ちも余裕がない中ではありますが、しっかりと働き方を考えていくことが人生を充実させていく、そんな職場が増えるよう「いい会社」経営を応援していきたいです。このたびは、いろいろと教えて頂き、ありがとうございます。
(対談は今回が最後です。ありがとうございました。)
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