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川嶋先生と考えるアフターコロナの「働き方」(第二回) 

(第一回はこちらから

牧野:
そんな憤りを感じられている中でも、コロナ禍下でも「働き方改革」の流れは、確実に浸透されつつあるものと思われます。女性の働き方にも変化がある中でのコロナ禍による停滞を感じています。
具体的には、有職の女性の家事負担の問題から、テレワークを在宅で行っている中での業務効率低下の指摘など、在宅で「なんでもかんでも実行できる」という世の中の雰囲気に、違和感を覚えている人も多くなっていると思います。
従来、指摘されてきた「働き方改革」についても、理解がバラバラという点も含め、課題となるポイントなどあれば、教えて下さい。

川嶋:
わたしも取引先の事務の女性がテレワークをしているときに電話したことがあるのですが、時折、小さい子供の声が入ってきて大変そうだなと思ったことがあります。
そのときは最初の緊急事態宣言のときで、小学校等も休校になっていたから子供を見ながらお仕事されていたのでしょうが、以降は緊急事態宣言等があってもその方はテレワークをしていないようなので、やはり育児をしながらテレワークをするのは難しいのだなと思います。

牧野:
全体的に経済活動が停滞する中では、当然ながら保育や育児、学校教育の関連も停止されていることも含まれていることの影響も考えられます。

川嶋:
最初の緊急事態宣言のときはまさにそうでしたね。その後、10代より下の世代ではコロナがほぼ脅威でないこと、ネグレクトや子供の鬱など、学校を休校にすることによる子供への悪影響もあって、乱発される緊急事態宣言とは違い、文部科学省による一斉休校の措置は取られていません。今年の8月から9月にかけて一部地域の学校で休校措置が取られましたが、これらは地方自治体の要請に寄るものでした。
こうしたことから、子供が学校等に行ける年齢であれば、子供のいないあいだは家でテレワークができそうなものなのですが、そうはなってないというのが、女性の働き方とテレワークの現実のように思えます。
そのため、テレワークを魔法のステッキのように何でも解決できるようなものとして扱うのは、もうやめた方がいいように思います。

牧野:
どうして、ですか?

川嶋:
テレワークも結局は数ある働き方の一つに過ぎないからです。
他の働き方がそうであるように、テレワークにだって他の働き方と比べて優れてる部分もあれば、劣っている部分もあります。しかも、その優劣の部分も感じ方は個々の労働者によって様々です。
つまり、個々の労働者によって合う合わないがある上に、そもそもテレワークに向いていない職種もあるわけですから、誰にとっても都合のいい魔法の制度とはいかないわけです。

また、話を働き方改革と女性の働き方に進めると、働き方改革によって「女性の働き方にも変化」があったとするなら、それは、働き方改革というムーブメントに押される形で、当時は、そうした社会的な雰囲気があったということだと思います。
そして、残念ながら、今はコロナによってそういった雰囲気が失われてしまったということでしょう。

牧野:
雰囲気といったものが消失した中では、うまく機能しないという不安を覚えました。どうした点が欠けていたのですか?

川嶋:
まず、わたしが働き方改革のときの「女性の働き方にも変化」が雰囲気だと思った理由は、働き方改革関連法では女性の働き方を大きく変更させるような法改正が、2018年の関連法改正時点ではなかったからです。その後、女性の活躍を謳う女性活躍推進法が2019年に改正されましたが、改正事項の施行はいずれも2020年以降です。
つまり、法律による強制的な働き方の変化がないにもかかわらず女性の働き方にも変化があったと感じられた、ということなので、それは雰囲気としか言いようがないわけです。
ただ、2019年改正の女性活躍推進法が施行されればそうした雰囲気が戻ってくるかといえば、ことはそう単純ではありません。実際、改正法の一部はすでに施行されていますが、そのことが話題になることはほとんどありませんでした。ちなみに施行された施行内容は「プラチナえるぼし」という女性活躍企業の認定制度の創設ですが、これを読んでる人でこの制度のことを知ってる人が何人いるでしょうか。来年4月にも施行予定のものがありますが、こちらも話題となるのは一部に留まるはずです。
結局、女性の働き方の変化については女性活躍推進法だけでどうにかできるものではなく、男性の働き方や育児参加、税制や社会保険の扶養の問題、待機児童など様々な問題が山積みにされているというのが現状なのだと思います。
働き方改革のときは、これらを雰囲気だけでどうにかしようとしていたわけですが、それがなくなった今、課題を一つ一つクリアするほかに道はないように感じます。

牧野:
なるほど。実際、「働き方改革」といっても、労働法規に基づく、「当たり前」の働き方さえ、いままで実行されていなかったことから、過労死など不幸なことが起こってきました。
残業規制による心身の健康維持や移動を伴う転居もオンラインを使うことで単身赴任を減らす取り組みも出てきました(例 富士通)
ここに女性の活躍を後押しするハズの女性活躍推進法の改正がなかったこともある中で、急速に進展してきた結果で、とやかく「ブラック企業的な働き方」を指摘する傾向も強まり、経営者としては「なかなか従来通りの業務を指示できない」「十分な人員を確保できない」「予算的にも、ブラック的な働き方と指摘されることは解消しづらい」という悲鳴を聞くことが多くなりました。
何か、違和感を覚える現状となりましたが、鍵となる考え方などあれば、教えて下さい。

川嶋:
「ブラック企業」や「ブラック的な働き方」という表現は、正直、労働者側に非常に有利な表現で、会社が法律に違反しているかどうかにかかわらず、労働者側が「ブラックだ」と思ったら、ブラックと言えてしまう非常に主観的な表現といえます。
ただ、ブラックという言葉が労働者の主観によるとしても、会社が法律違反している場合にはまずはそこを直さないと、会社としては労働者と同じ土俵に立てないというのはあると思います。

牧野:
主観的な意見を基にした争論は、ハラスメント騒動にも似た感覚があります。

川嶋:
ハラスメントも確かにそうですね。ただ、次々に生まれる新種のハラスメントはともかく、セクハラやパワハラ、マタハラ等については行政の方が指針やガイドブックを出しているので、昔に比べて、主観との線引きはかなりしやすくなったと思います。
一方、ブラック批判については、そうした指針等もない上、例え法律を守っていたとしても言われてしまうのが厄介なところなのですが、ただ、自分の会社が法律違反していないのであれば、自分の会社がブラックと呼ばれる筋合いはないと開き直るのも大事なことだと思います。
結局、主観でものを言う人はどこまでいっても主観でものを言ってくるので、そういう相手には、会社としての線引きが必要だと思うからです。

牧野:
なるほど、その線引きが難しいですが、考えていかないとならない経営者も大変です。

川嶋:
線引きが難しい理由としては、経営者側が自社の法令遵守に自信が持てないという点があると思います。労働法は非常に多岐にわたりますし、条文以外の通達等で決まっていることも少なくありません。このような労働法を完璧に把握し、法令遵守をして、うちはブラックではない、と言い切るのは経営者一人だけの力では不可能に近いと思います。
ただ、この法令遵守については、わたしとしてはもう少し「緩く」考えてもいいのではと思う部分があります。「緩く」というのはもちろん多少は法律違反していい、とか、そういう意味ではなく、グラデーションを付けるというか、より重要なものとそうでないものの優先順位を付けたり、わたしたち社会保険労務士のような専門家に外注したりすることをいいます。

牧野:
外部の専門家が、それら理解と実行の間に上手く機能してもらえるという点では、その考え方には大いに賛成です。続けて下さい。

川嶋:
はい、そうやって会社として優先順位を付けたり、外部に委託したりすると、会社がすべきこと、外部に任せるべきこと、今はやらなくていいことなどがはっきりしてくるので、法令遵守がしやすくなります。また、外部の専門家にいつでも相談できる体制があれば、ブラック批判等に経営者一人で悩んだりしないで済みますし、先ほどの線引きについても専門家の知恵を借りることができます。

(第三回に続きます)

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