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戦国武将と「決断」

 日本の歴史、特に戦国武将から現代に活かせることを学ぶ。
 こんなことを日々考えている、TNCメンバーの新井です。

 今年の大河ドラマ『どうする家康』、みなさまご覧になっていますか?
 今までにない徳川家康像を描くこの意欲作も、いよいよ佳境に入ってきました。

 ドラマ冒頭の家康は「どうする!?」と家臣や諸将から迫られてしぶしぶ判断していたという感じでしたが、織田信長からの無茶ぶり、武田信玄などの恐ろしい外敵との戦を経て、徐々に「どうする…」と自問自答し悩みながら判断できるように成長。今後は、「徳川の世」をつくる過程で突きつけられるさらなる「どうする」に対し、重大な決断を迫られてゆくことでしょう。

 さて、今回のお話は「決断」について。
 決断と似た言葉に「判断」がありますが、それぞれの言葉の意味をみてみると、
・決断…自らの意志ではっきり決定すること
・判断…物事の真偽や善悪などの材料を見て、自らの考えを定めること
 端的にいえば、決断は主観的に決める、判断は客観的に決める、といったところでしょうか。
 何を食べるか?どこに行くか?などの小さなものも積み重ねると「人間は一日に最大3万5千回の決断をしている」という驚きの研究もあるようです。

 ここで、家康と同時代を生きた戦国武将・小早川隆景のお話をひとつ。
 隆景は「一本の矢は折れやすいが、三本なら折れない」というエピソードで有名な毛利元就の三男として生まれ、養子として入った小早川家で主家・毛利家を支え続けた名将。慎重で思慮深く、文武両道で知られていた隆景を、豊臣秀吉は「日本の西は小早川隆景、東は徳川家康に任せれば安泰である」と評価していたとか。その隆景と、切れ者として名を馳せていた黒田官兵衛とは親交もあったようで、この二人の間にはこんな逸話があります。
 
 信長による「毛利攻め」で織田軍と毛利軍として敵対していた二人。その最中に明智光秀による「本能寺の変」で信長が討たれるという大事件が起こりました。この後、対陣していた二人の言動を見てみましょう。

 片や、織田方の官兵衛。
 主君・信長が討たれたということを聞き、動揺していた秀吉に向かって「これであなたの天下ですな」と囁きました。動揺しながらも今後のことを思案していた秀吉は、自分の心を見透かされたと恐怖し、この後官兵衛は生涯に渡り秀吉から警戒されます。

 片や、毛利方の隆景。
 毛利家は和睦した後に本能寺の変を知り、会議では「背を向けて引き上げる秀吉の軍を追撃すべし」という意見が圧倒的でした。しかし隆景は最後に口を開き「和睦後に追撃するのは義にもとる」と毛利家中を説き伏せ、のちにこれを聞いた秀吉は隆景に深く感謝したと言われています。

 秀吉の考えを即座に読み取った官兵衛は、余計な一言で秀吉から警戒され、世論と信長亡き後の世の中を考えた隆景は、後に秀吉から重宝されました。後日談として、次のような逸話もあります。

 ある日、官兵衛が隆景に、
「私はいつも即断即決しているが、後になってその決断を後悔することがある。しかし、あなたにはそんなことがないように思う。なぜでしょう。」
 という話題を持ちかけ、隆景はこう答えました。

 さらに隆景は「仁愛を基として分別し思案を重ねた決断であるなら、思慮が外れても大きく間違わない」と続け、思いやりを判断基準として熟慮し決断するというこの言葉に、官兵衛は深く感銘を受けたといわれております。

 決断が早くとも間違えて取り返しがつかなくなり、かえって効率が落ちることもままあること。もちろん即断即決が求められる場面もあるでしょうが、決断も行動もスピードアップだけを追求すればよいというわけではない、ということですね。

 『どうする家康』内の家康にも大きな決断をする場面がありましたが、その多くは判断材料に踊らされて「やむなく決断」「急かされて決断」といったものだったように思います。今回ご紹介した隆景の言葉には、「戦のない世をつくる」ことを目指すこれからの家康も共感することでしょう。『どうする家康』も残すところあとわずか、家康が決断を下すその時を楽しみにしたいと思います。

「いい武将」研究会 新井良典

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