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宅急便の父、小倉昌男氏「福祉を変える経営」から学ぶ(第一回)

TNC「企業理念チーム」の白根です。

障害者通所施設「就労継続支援B型事業所ハッピーワーク松戸」と障害者が働く飲食店「戸定そば幸」を運営、代表をしております。

 

 今回は就労継続支援B型事業所における「働くと支援」について、故小倉昌男ヤマト財団理事長の著書『福祉を変える経営』と共に、2回に分けて考えていきたいと思います。

 

まず、就労継続支援B型事業とは法の下では

 「通常の事業所に雇用されることが困難であって,雇用契約に基づく就労が困難である者に対して行う就労の機会の提供及び生産活動の機会の提供その他の就労に必要な知識及び能力の向上のために必要な訓練その他の必要な支援事業を行う」と記されています。

 当事業所では、どのような障害をもっていても、社会での就労の機会と生産活動の機会を得て活躍していくことを支援するために、常に考え模索しています。そのヒントとなる一つが故小倉昌男氏の考えを今回は紹介したいと思います。

 

宅急便の発明者が、なぜ「障害者支援」に挑戦したのか

 小倉昌男氏といえば、「宅急便」という世界初のイノベーションを発明し、ヤマト運輸(現ヤマトホールディングス)の中興の祖と評価されています。

そして、もう一つのイノベーションは、障害者の支援や社会参加という領域に「経営」というコンセプトを持ち込んだことです。

 小倉氏が障害者支援に本格的に取り組むようになったのは、会長職を退いた1995年からでした。

障害者が働く共同作業所(現在のB型事業所)を見学し、彼らが月額1万円以下で働いていることを知り、驚愕します。当時、この共同作業所は、彼らを助けたいという志の持ち主たちのボランティア精神によって運営されていました。そして、こうしたボランティア精神にあふれ、障害者雇用という社会正義に突き動かされた人たちには、経営という考え方は馴染みませんでした。

 

 当時私も障害者福祉施設に勤務していましたので私も含め、障害者福祉の仕事に従事している人たちは、何とかして障害者のためになるようにと、真摯に努力していました。しかし、その「障害者のため」という意識が、共同作業所を内向きにしており、外部から価値を認めてもらえる製品づくりから遠ざける結果を招いていました。障害者の自立に貢献するには、実は目を外に向け、経済システムの中に共同作業所を位置付ける必要があったのです。

 お客さんたちが、たとえばバザーなどで慈悲の心から購入するのではなく、実際にお金を支払って買いたいと思うものを考え、それを生産し、十分な対価を得て、その結果として障害者は自立できる、そのように方向付ける必要があり、社会に貢献しているという実感を味わえるようにするという考え方です。

 当時、障害者福祉に携わる人たちは、利潤を動機とすることに背を向けていました。つまり、お金儲けは「悪いこと」であり、経済とは「弱肉強食」がルールであり、障害者の利益を阻害することはあっても、プラスになることはない、というのが当時の「常識」だったのです。

 そこで、小倉氏はこのような意識や常識を変えようと、1996年から「共同作業所パワーアップセミナー」を開催します。そのセミナーの冒頭で、挑発的に次のように語りました。

「みなさんがたは、障害者のために小規模作業所をつくり、献身的に仕事をしている。しかし、そこで働いている障害者は月に1万円以下しかもらっていません。逆に言うと、みなさんは1万円以下しか障害者に給料を払っていない。それでいいんですか。(中略)月給1万円以下で働かせていたら、障害者を飯の種にしているといわれてもしようがないのです。その問題を放っておいたら、いいことをやっているのではなく、悪いことをやっていることになりますよ」

 もちろんセミナーの参加者全員が素晴らしい人たちであることは十分承知しながらも、このように毒付いたのは、参加者たちに意識改革を促すためです。その後に続くレクチャーでは、経営リテラシーを伝えるだけでなく、基本的には経済とはどういう仕組みになっており、利潤の追求や競争はけっして悪ではないことを訴えました。

 

 私は当時、上記のようなガッツリとしたセミナーではありませんでしたが、小倉氏の講演会に参加する機会があり衝撃を受けました。施設で働きながら「なぜ施設は売れるものを作らないのか?しかし何ができるのか?」等々、実は私は心の中でもやもやとしたものを抱えていたのです。

 

障害者が生き生きとして働ける場をつくる​​

 小倉氏は、こうしたセミナーで訴えただけでありません。みずからも実践しました。小倉氏が立ち上げ、いまなお続いている「スワンベーカリー&カフェ」(運営と支援は株式会社スワン)がそれです。

 直営のアンデルセンやフランチャイズのリトルマーメイドで有名なタカキベーカリーの社長、高木誠一氏が開発した冷凍パン生地を使用することで、誰でもパンをおいしく焼けることがわかり、自身が依頼し、協力を仰ぎました。こうして、1998年6月、スワンベーカリー銀座店が第1号店としてオープンします。 

 こうした取り組みは、宅急便というイノベーションに比べると、ずいぶん小規模に思われることでしょう。しかし、それでもなお、利潤追求を忌避するがゆえに、かえって障害者に社会への貢献の場が与えられないことを指摘し、共同作業所の「経営者」が経営を学ぶことで障害者の真の支援、真の自立が実現可能であるという方向性を示し、その考え方を普及させた小倉氏の挑戦は並々ならぬものです。

 宅急便同様、世の中の常識や前例を疑い、あるべき望ましい姿へと改革しようという強いコミットメントがあったからこそ、成し遂げられたイノベーションといえましょう。

 

  会長を辞める半年ほど前のことです。1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生したのです。この震災により、障害者たちが働く共同作業所と呼ばれる施設も甚大な被害を被りました。小倉氏は翌年1996年に共同作業所を見学する機会を得ます。この見学を通じて、多くの共同作業所が下請け仕事や空き缶潰しといったリサイクルの仕事をしていることを知りました。

 その時の印象をこう述べています。

 「一連の共同作業所の『事業内容』を見学して、私は失礼ながらこう思いました。これはとても儲かってないな、と。なぜならば、消費者としてほしくなるようなモノをつくっていなかったのです。ということは商売がまともに成り立っていないことになる。そこで私は非常に素朴な疑問を作業所の方々にぶつけてみました。

 『いったい、障害者の方たちにいくらくらいの賃金を払っているんですか?』その答えは、『平均して月給1万円以下くらいですね』。驚きました。今どき、たった1万円の月給でどう考えても、自立とはほど遠い現実でした」

 小倉氏が目にした共同作業所は、障害者が自立するための場所ではなく、実質的には昼間に障害者を預かる「デイケア」の機能を提供しているものでした。障害者の親たちは、「この子を残しては死ねません。たった1日でいいから、私は子どもより長生きしたい」と語っていたそうです。

 

                             続きは(第二回)となります。

一般社団法人ハッピーチョイス  代表 白根邦子

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