一生、精神病院暮らし?!
今回もうどん屋で関わった統合失調症の当時36歳男性の話しです。
Kさんは、17歳で病気を発症し、幻覚などもあり入退院を繰り返していましたが、
症状が安定し、就労に向けて訓練をするために親に促されてやってきました。
第一印象は、まるで小学校低学年の子と話しているような幼さを感じました。
病気のため高校は中退、調子がいい時、たまに父親の配達の仕事を手伝うという生活をしていました。
医師からは、もう少し頑張れば一般就労できると言われている状況でした。
ですが、飲んでいる薬の量は、1回で7種類14錠という多剤処方でした。
人生初の通勤
自宅からは電車に40分ほど乗り、約1時間の通勤です。
朝9時出勤ですが、だんだんと遅刻する日が増えて、半分以上は遅刻でした。
1か月経つ頃から、9時過ぎに私の携帯に電話がかかってきて、
「行こうか休もうか、迷っているんですけど」と言います。
昼前までに到着すればいいから、とにかく来るようにと説得し、休ませないようにしました。
到着したらまずは「頑張ったね!」と認め、その時の気持ちを聞きました。
その答えは、「自信がない」、「やる気が出ない」でした。
自己信頼の力や好奇心が育っていない!
母親に子どもの頃どのように育てたのかを聞きました。
予想通り、過保護、過干渉で育てていました。親が常に指示を出し、本人に考えさせることはなく、失敗を経験するチャンスも協調性や我慢を覚える経験もあまりなく育っていました。
過干渉で育つと自分に対して自信が持てなくなり、自尊心も低くなります。
子ども時代から家事手伝いはしたこともなく、趣味もなし、病気発症後もたまに父親の仕事を手伝う程度で、継続して同じことをするという経験がありません。また友達と悪さも含め、夢中になって遊び “楽しかった!!”と心から感動する体験もないまま大人になっています。
子ども時代に思いきり制限のない遊びを楽しんだ経験のある人は、好奇心が強く、どんなことに対しても、やってみたら楽しいかもしれないと考えることができるようになります。
親はよかれと思ってやってきたことですが、自立のために必要な訓練ができていないと感じました。
子ども時代からの経験の大切さを痛感しました。
強迫性障害とたばこ依存
36歳まで家事の経験がないので当然ですが、動作もゆっくりです。
注意してみていると、アレッ?と感じることがありました。
食器を洗っているとき、同じ皿をずっと洗い続けていました。
「きれいになっているからもう大丈夫だよ」と声をかけるまで洗っていて、強迫性障害の症状もありました。
行動療法が必要と思い、洗い物をするときは「もう大丈夫だよ」と常に声をかけました。
声をかけるとハッとしてやめる、を繰り返し、徐々にですが改善していきました。
さらに驚いたことは、かなりのヘビースモーカーでした。1日2箱は当たり前でした。
自分で稼いでいない状況で、1日1箱だったのが、いつの間にか2箱になってしまったようです。
たばこ代は本人の要求するまま、親が出しています。母親に健康にも悪いし、せめて1箱で我慢するように言わないのかと聞きましたら、「そんなことを言って病気の症状が出たら怖いから」という答えが返ってきました。
腫物にさわるように、子どもには要求通り、何でも受け入れていることがわかりました。
1年ほど経ち、仕事もできるようになってきた頃、「もうやめたい」と言い出した!
仕事も覚え、成長も感じましたが、遅刻だけが課題になっていました。
話し合いをしましたが、「就労は自信がないし、無理だと思う」と諦めの言葉。
1年前より仕事もできるようになり成長していること、医師もあと少し頑張れば就労できると言っていることなど話しましたが、「B型施設に行ってみたい」という気持ちが強くなり、とても残念でしたが、うどん屋はやめることになりました。
その後、自宅近くのB型施設に通うようになりましたが、1か月で対人関係がうまくいかないとやめてしまいました。その後も1年ほど他の施設を転々としましたが、結局施設も諦めて、家にいるようになりました。
また医師のことも信頼できず、病院も次々と替えていきました。
うどん屋をやめて12年経った2019年
やめてからも近況報告と気分転換に1年に1~2回、お母さんとうどんを食べにきてくれました。
たまに入院をしながら、施設には通わず、家にいる生活をずっと続けていました。
5年後には父親が病気で亡くなり、母親と二人暮らしになりました。
そのうち、母親も軽い認知症の症状が出てきて、家事がうまくできなくなりました。
母親がデイケアに通うようになり家事ができないKさんは2018年から精神病院に入院になりました。
私が2019年末にうどん屋を閉める頃、一時帰宅をしてうどんを食べに母親とやってきました。
その時びっくりしたことは、薬の副作用で、「ろれつ」が回っていないのです。
入院する前よりもひどい状況になっていました。
日本では、諸外国に比べ抗精神病薬の多剤大量療法が行われてきた歴史があります。
諸外国では今はどんな精神病でも薬は単剤治療(抗精神病薬が1錠)が普通になっています。
日本でも数年前に多剤処方に対する見直しもされて、昔よりは良くなってはいますが、まだまだ単剤での対応をしてくれる病院は少ないようです。
Kさんに薬はどのくらい飲んでいるかを聞きましたら、夜は12錠とのことでした。
「薬がないと不安?」と尋ねると「はい」という答えで、完全に薬依存になっていました。
病院は一生入院させるつもりなのだなと思いました。
イタリアでは「バザーリア法(1978年)」により精神病院は全廃されました。
日本の精神科医療は海外に比べて30年以上遅れているといわれています。
最大の問題は、入院患者があまりにも多いこと、そして患者の人権が守られていないこと。
少し前に八王子の精神病院の虐待や拘束の問題がニュースになっていましたが、ここ十数年、強制入院、閉鎖病棟、身体拘束が増え、人権状況はむしろ悪くなっているようです。
長期入院の解消もあまり進んでいない状況です。
それは精神疾患のある人に対する偏見が強く、地域でのケアが進めにくく入院に頼らざるを得ない面があるということです。
それにより、30年~40年以上にわたって“社会的入院”をしている患者もいます。
2011年の東日本大震災の時に、精神病院が津波でなくなり、地域で暮らすことになった男性の特集をTVでやっていましたが、40年間入院していた人が地域で受け入れられて、普通に暮らせるようになっていました。その男性は、結婚して子どもがほしかったそうですが、長期入院でその夢もかなわず、高齢になってしまったことが残念と話していました。
Kさんは入院時48歳でしたが、今の生活に疑問も待っておらず、残りの長い人生を一生精神病院で暮らすのかと思うと、とても残念でなりません。
日本の若者(満13~29歳)は7か国中、自己肯定感が低いというH25年度内閣府調査もあります。
※下記図参照
自立に向けて、幼児期からの子育てや教育をしっかりと考えていく必要があると強く感じています。
自己肯定感
- 諸外国と比べて,自己を肯定的に捉えている者の割合が低い。
人づくりチーム 北澤裕美子
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