
毎日天井を見て過ごした7年間
私が埼玉県秩父のうどん屋で自立に向けて関わった、ひきこもりのS君24歳の話しです。
彼は母親に連れられて、私のところにやってきました。第一印象は、ほんとに24歳?でした。
私の次男も同じ年齢でしたので、正直びっくりしました。
生気のない目、髪の毛もべとっとしていて、若者とは思えない姿でした。
それとは正反対に母親はニコニコしていて、元気でよく話す方でした。
私のところに来たきっかけは、その2年ほど前に母親がフラッと私のお店にひとりで入ってきたことです。しばらくしてお客さんがみな帰ると「実は息子がもう5年ひきこもっているんです。」と話し始めました。どうしたらいいかわからないと言いましたので、少し関わり方のアドバイスをしました。それから2年が経ち、連絡がきました。
「このままじゃどうにもならないから、もういい加減社会に出るように」と話し、息子を何とか説得したそうです。母親の知り合いの店か私のうどん屋か、どちらかに行ってみないかと選択肢を与えたら、私のところに行くと答えたそうでやってきました。
話しをしても 「はい」 「いいえ」 「わかりません」 と答えるばかりで会話になりません。
母親は、「この子はおとなしく、家が大好きで、小学校の時に学校から帰ってきても家にいて、友達と遊ぼうとしない子でした。私は、男の子は元気に外で遊ぶものと思っていたので、毎日学校のクラスの子に電話をして、外に遊びに行かせました」と話しました。
本人の気持ちを無視して、お母さんの価値観でコントロールする日々を送ったのだなとわかりました。常にお母さんが指示を出し、その通りに生きてきてしまっていました。
洋服も若者らしくないものでしたので、「好きな色や形はないの?」と聞きましたら、「母が買ってきてくれたものなら何でもいい、着られればいい」という答えでした。
自分で考えることなく過ごしてきたので、どうしていいか判断もできない状況でした。
彼は両親と妹の4人家族で、高校2年生(17歳)から不登校になりました。
ひきこもりといっても、いろいろなタイプがありますが、彼は外にはほとんど出ませんでしたが、食事は家族と一緒で、会話も少しはしていました。
母親はフルタイムの仕事をしていましたので、昼間は誰もいません。
24歳になるまでの7年間、どう過ごしていたかを聞いてみました。
その答えは想像を絶するものでした。
朝食を食べたら、自分の布団にごろんと寝て、天井を見ていると夕方になり、家族と夕飯を食べるという日々を7年間送っていました。
スマホもPCも持っておらず、ゲームもやったことがなく、私が「何か好きなことはないの?」と聞くと「ありません」という返事でした。何に対しても興味がないようでした。
何をするのも面倒で、部屋にゴミ箱はあるけれど、ティッシュやゴミを布団の回りにポイポイ投げ捨てて、ごみ箱に入れないので、部屋中が足の踏み場もないほどゴミで散らかっているそうです。それで母親が週に1回見かねて掃除をするという日々を送っていました。
ここも過保護にしてしまっています。
ただ、救いはたまに本を読んでいたことです。
そこで私が考えたことは、まず会話ができるようにするために、本を貸して読んでもらいました。
私の息子が読んでいた本を私が読み、それを貸して、読んだ感想を話すことから始めました。
自分からは話さないので、私が質問をしてどう思うかと聞き、話しを引き出しました。
1年過ぎる頃から、やっとスムーズに会話が成り立つようになりました。
本以外にも時事問題などの話しもできるようになってきました。
その時、初めて自分のことを話しました。
「親の期待が重かった」 でした。
幼児期から、親の期待する自分ではなかったことで、自己肯定感も育むことができず、親のいいなりに過ごしてきた結果でした。
さて、うどん屋での仕事はどうだったかというと、驚きの連続でした。
包丁で皮むきくらいはやったことがあるのではと思って、リンゴの皮むきをお願いしました。
彼も何も言わないので、できるのだなと思ったら、包丁の持ち方を見て、びっくり仰天。
ただ握っていきなり横にスライドしてリンゴをむこうとしたのです。
「ちょっと待って!!」と慌てた私。
24歳まで家事はまったく手伝ったことがなく、何もかも初めての体験だったのです。
それで、包丁の持ち方から教えて、何回もリンゴやじゃがいもの皮むきの練習をしました。
最初はリンゴが1/4くらいしか残っておらず、食べるところがほぼないのです(笑)
それでも毎回の練習の成果が少しずつ出てきて、店で使うネギが、時間はかかりますが切れるようになりました。
そこから自立に向けて、家で家族の食事つくりをしてもらうことを提案し、休みの日にやるようになりました。親にも話しをして、手や口を出さずにすべてを任せるようにしてもらいました。
そして、彼がつくった料理を家族で食べながら、まずは頑張ったことを認めるところから、どこが大変だったか、自分なりにうまくできたこと、工夫したことなど聞いて会話をしてもらいました。
そこがきっかけで、やっと家族とまともに会話ができるようになってきて、自信もついてきました。
当時うどん屋には知的と発達障害の二人の女性がいました。彼には障害はないので、二人のリーダー的存在になってもらいました。
私が用事のあるとき、片付けをしている途中で帰ることがあり、その時、障害のある二人に片付けがスムーズにいくよう指示を出すように頼みました。
彼には店の鍵を渡し、締めたら私にメールで報告をし、家に帰ってからは、その時の様子を報告してもらいました。
その後、うどん屋は週3日なので、さらに就労に向けて週5日仕事ができるように、知り合いの就労継続B型施設と喫茶店の2か所に手伝いに行って、他の場所に慣れる練習をしてもらいました。
また池袋の公園で毎月1回ホームレスに食事を提供しているNPOがあり、ボランティアをいつも募集していましたので、そこにも何回か行って体験をしてもらいました。
2年過ぎた頃に、「どんな仕事をしてみたい?」と聞きましたら、「わからない」という答えでした。
私は「自分の仕事だから自分で考えて決めないとね」と話すと「北澤さんか母が決めてくれたらそこでいい」という返事が返ってきました。
ハローワークに行って、どんな仕事があるか探してみたらいいと言いますと、「それは面倒だから、また家でひきこもりをしたい。すべてがめんどくさい」と答えました。
週5日働くことができていたのに、その返事にはさすがの私もちょっとショックでした。
お母さんには、月1回来てもらい話しをしていましたが、お父さんとは会っていなかったので、一緒に来ていただき、話しをしました。
どんな父親かをお母さんからは以前にうかがっていました。とにかくまじめで仕事はちゃんとやっているが、子どもには関心がなく関わらないという不満を聞いていました。
お会いしてみて感じたのは、どこか息子に甘いなということでした。働く場の候補がひとつありましたが、自宅から1時間半弱かかる場所でした。
私の店まで電車で1時間ほどかかりますし、2年間通えたので大丈夫と思いましたが、父親は、それはちょっと遠すぎてかわいそうと言いました。
きっとできるから、やってみたらいいと27歳の息子の背中を押してほしかったです。
その時、またひきこもりをしたいと言っていたので、そうなったらどうするのかと聞きました。
それは困るという返事でしたので、もしまたひきこもりをしたいと言い出したら、心を鬼にして、住み込みでも何でも家を出て働くようにと言って、追い出した方がいいと伝えました。
そうしないと一生ひきこもりになってしまうと思ったので、私は敢えて厳しいことを言いました。
その後、1か月ほどしたときに突然店を辞めると言いました。
親も覚悟を決めていたので、家を出るように言い、彼は出ていきました。
ただ、私が体験のために行ってもらっていたところで働いて得たお金を持っていたので、それを全額持って家を出ました。
結局、2週間ほどネットカフェなどを転々としていたようですが、お金がなくなり、家に戻ってきました。
そこで話し合いをしてもらい、ハローワークで仕事を探すことになりました。
最初はハローワークの前まで行くのですが、中に入れず戻ってきてしまうことが続きました。
それでも何とか入り、相談支援につながり、3か月ほどで仕事に就くことができました。
今も何とか続いているので、ひきこもりにならずによかったです。
この例でも感じましたが、アタッチメントの重要性です。
母親が理想の息子にしたくて、ありのままを受け容れられず、あれこれとコントロールして育ててきてしまったことで、自分に自信がなく、生きる力がついていなかったのです。
子どもに失敗させたくないなど、子どものためにとやっていることが反対に子どもにプレッシャーをかけてしまっています。
親はそれに気づいていません。
その親の期待に応えられないと感じてひきこもりになったのです。
問題行動は思春期頃から出てくることが多いです。
親が自分のやっていることが正しいと思って、気づいてないことが、一番の問題です。
子育ては学校では習いません。
たくさんの親子を見ていると学ぶことが必要と感じます。
子どもには子どもの価値観や生き方があります。
その子が望む生き方を応援してそっと背中を押してほしい、そして本当に困ったときは、子どもが戻ってこられる安全基地であってほしいです。
アタッチメントは幼児期だけではなく、どの年代のすべての人に有効です。
会社でもアタッチメントを理解している人が増えれば、離職やメンタル不全も減ると思います。
人づくりチーム 北澤裕美子
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