森成利(信長の秘書としての心得)

森成利

(1565年、尾張葉栗郡生まれ。通称森蘭丸。織田信長に小姓として仕え、後に美濃金山城主、美濃岩
村城主も務める。父・森可成、兄・森長可は猛将として名を馳せ、弟の長隆、長氏は成利とともに
本能寺の変で信長に殉じた。)

森蘭丸こと森成利は、十五歳頃から信長に近侍していた。
ある時、成利は信長から「隣の座敷の障子が開いているから閉めてこい」と命じられた。行くと障子は閉まっていたが、成利は一瞬考えた上、障子を開けてすぐ閉めた。
信長の元へ戻るとすぐに「何故一度開けて閉めた?」と問われ、成利は
「殿からのご命令は障子を閉めてこいとのことでした。ここで私が障子は最初から閉まっておりました、とお答えするのは殿の誤りを周りの者共に知らせるようなものです。これでは私の役目を果たしたとはいえないので、一度開けて閉めたのです。」
と答え、信長を満足させた。
信長は初めから障子が閉まっていることを知りつつ、秘書といえる立場の成利がどのような応対をするのか試したのである。猜疑心の強い信長に成利が生涯重用されたのは、彼が「どのように行動すれば殿のためになるのか」ということを常に考え行動していたからであろう。

森成利