細川重賢

細川重賢

(1721年1月23日、肥後熊本藩生まれ。肥後熊本藩第六代藩主。破綻寸前の熊本藩を数々の改革で立て直し、特に人材育成へ積極的に取り組んだ。その手法を上杉鷹山や松平定信など、のちに名君と言われる数々の藩主がその改革を手本とした。)

江戸時代の名君の中でも、代表的なのが重賢である。彼は常々「財政難の時にこそ教育=人づくりが大切だ」という考えを持っており、教育に心血を注いでいた。
重賢の言葉に次のような例えがある。
「教育とは、大きな川の前に立つ者を向こう岸に渡してやることだ。育てる側はすぐに橋をかけることを考えるが、育てられる者が川上にいるのか川下にいるのかまで考えて渡る方法を教えるべきだろう。
川上にいれば、川幅が狭く浅い箇所があり、その道筋を教えれば川を渡れる。川幅が広く深い川下にいる者には船の作り方や操縦法を教える。このように、個々の資質や状況によって向こう岸へ渡る方法を教えるのが本当の教育だ。」
教育は、個々の能力を考えた上で、その人にあったやり方で行うべきである。
そして「川上の浅瀬まで行って渡ればいい」という低い難易度で平均化するのではなく、「川下で船の作り方をマスターしよう」という高いレベルで平準化する環境が作れれば尚良いだろう。

細川重賢