蒲生氏郷(俸禄と愛情は車の両輪)

蒲生氏郷

(1556年、近江国蒲生郡日野生まれ。日野城・松坂城・黒川城主。織田信長・羽柴秀吉に仕える。文武に秀でた武将で、その実力は秀吉にも恐れられた。商業政策を推進し、移封先で商人を育てた。「利休七哲」の一人として茶湯にも精通し、キリシタン大名としても知られている。)

蒲生氏郷が日野城主をしていた時の話である。家臣の功績に対して報酬で応えられなくなった氏郷は、休日に手柄を立てたある家臣を自宅へ招待した。
夕食の前に風呂へ案内された家臣は、入浴中に外から「湯加減はどうだ。」と問いかけられ、まさか、と思って外を見ると、煤で黒くなり汗だくで湯を沸かしている氏郷がいた。
その姿に涙を流して感激した家臣から他の家臣に伝わり、いつしか報酬をもらうより氏郷宅に招待され「蒲生風呂」を頂くことが最高の褒美だと言われるようになった。
氏郷は「報酬と情は、車の両輪、鳥の両翼なり」と常々言っており、金銭面だけでなく、心の満足も重要視していた。トップである氏郷からの深い情を感じた家臣たちは、「この人のために」と忠義を尽くしたという。

蒲生氏郷