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知的障害女性kさん(23歳)の自立までの奮闘記

私が障がい者や引きこもりの方が就労できるよう支援をしてきたうどん屋での実例です。
「知的障がい者って仕事できるの?」って思っている方は多いのではないでしょうか。
はい!少し時間はかかりますがちゃんとできます。
私は障がい者やひきこもりの方を就労へと送り出す目的でうどん屋を13年やっていました。本業が別にありましたので、水・土・日・祝日のみの営業です。
観光地でお盆と正月は稼ぎ時でしたので、私は365日ほぼ休みなしで根性つきました(笑)

kさんは中学卒業後、母親の希望で県立高校の夜学に入学しましたが、勉強がついていかれず1年の最後に進級できないため退学しました。そのまま2年間ひきこもりです。
保健師さんから勧められ検査をして、知的障害中度と診断され療育手帳を取得しました。
そこから20歳で特別支援学校の高等部に入りました。卒業後は母親の希望で障害者施設には行かず、私のうどん屋に訓練にやってきました。

まず、挨拶ができません。
家でお手伝いはしていたので、テーブル拭きや食器洗いはできました。

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9時~16時までの慣れない立ち仕事で、最初の頃は終盤になると「足が痛い」「疲れた」を連発してました。ひどい時はシンクに肘をついて、ぶーたれ顔で食器洗いをしてました。
私が「疲れたの?」と声をかけても返事もしません。さらに「がんばったね!」と声をかけますが返事なし(笑) 1週間目に「もうやめたい」と言いました。

初めて来た日に約束をしました。家から徒歩20分、1駅ですが電車に乗ってきます。就労するためには自力で通勤できることが第一条件になりますから、ひとりで通うことを約束しました。ある日、店から少し離れたところまでお母さんに車で送ってもらっている姿を見つけてしまいました。
私は覚悟を決めて、本気で話しをしようと向き合いました。いろいろ話す中で、自立したい気持ちを持っていることがわかりました。そこで「若い体力のある時に頑張らないと、年を取ったらもっと頑張れなくなるよ」「今は苦しいけれど、乗り越えたら会社に就職して自立ができるよ」と諭しました。
そして母親にも、「お母さんは娘さんを一生面倒みれるのですか?それができるなら毎日送り迎えしていいですよ。できないのなら、二度と送り迎えはしないでください!」と毅然と言いました。私の強い言葉にお母さんも「わかりました」と返事をしてくれ、次の日からひとりで通ってきました。そして体も徐々に慣れてきて、体力もついてきました。


彼女には「失敗しても大丈夫だから報告してね。次に失敗しないように考えることが大切だよ。わからないことは相談してね。」と伝え、一般就労に向けて、報告・連絡・相談ができるように、日々練習しました。失敗を責めたり、叱ったりせず、安心して仕事ができる環境づくりを心掛けました。
どんどん慣れてきましたが仕事はゆっくりでした。そこで店を閉めたあとの片づけは、時計を見て自分で目標を立てて、どうしたら早くできるようになるか自分で考えるようにと伝え、私はいっさいの指示は出さず見守りました。はじめの頃、片付け終了まで普通の方の倍(1時間以上)かかっていましたが、徐々に短い時間でできるようになってきました。
自分で考えること、工夫することで自信もついてきました。2年目頃には、挨拶も報連相もしっかりできるようになりました。さらに、自分からこうしたらもっといいのではと提案もしてくれるようになりました。
そのころから、「料理ができるようになりたいから教えて」と言いましたので、いろいろな料理を教えました。お店で使うネギ切りも私は手を出さず、毎回時間はかかっても彼女の仕事として任せました。私がやれば5分で終わりますが、30分もかかりました。でも、自分で完結するという積み上げの経験が自信となり、いろいろできるようになりました。

そこで、さらに自立に向けて、家族の食事つくりをお手伝いではなく、ひとりで全部完結してみるように言いました。手伝いだけですとすべてを考えることはないからです。レシピや材料を決め、手順も考えないとできません。食べる時間までに完成するには何時から始めるかの逆算も必要です。たくさんのことを考える必要があります。さらに自分の洗濯は自分でするようにもなりました。お金の管理もできるように、銀行に一緒に行って通帳をつくり、ATMのやり方も教えました。お母さんとも連絡を取り合いながら情報共有しました。

ある日、控室が散らかった時に片付けを頼んだら片付けセンスが抜群によくびっくり。
これは才能だなと感心しました。そして誰もがその人なりの秀でる才能があるのだなと確信した瞬間でした。私がすごく喜んだら、その後指示を出さなくても、散らかるとサッと片付けをしてくれるようになりました。認めることでやる気も自信もつきますね。        

様々なことが自分でできるようになるまでに5年がかかりましたが、うどんつくり以外の仕事はすべて(天ぷら、オーダー取り、レジなど)できるようになりました。自信がついたようで、自分から「ものをつくる工場に就職したい」「家を出て一人暮らしがしたい」と言いました。就労支援センターにお願いし、工場に2週間体験に行きました。社長さんからは「体験だけですよ。就職はできませんよ」と釘を刺されました。
さて、2週間後、どうなったと思いますか?「すぐにでも働きに来てください!」でした。
普通の方と変わらず何でもできるし考える力もついていてまじめにコツコツ仕事をするので、社長は戦力になると思ったのです。

その1年後、彼女は反対するお母さんを説得して自分でアパートを見つけて一人暮らしを始めました。音楽が好きで、お給料で電子ピアノを買ってレッスンにも通い出しました。
1カ月経ったころメールがきました。
「ひとり暮らし最高!」でした。
お母さんは、彼女が就労できた時「まさかうちの子が一般就労できるとは夢にも思ってい
なかった」と言いました。障害があっても、気長に信じて見守っていけば、自立できるんです!!
可能性を信じなかったら、伸びる芽も摘んでしまいます。

(人づくりチーム 北澤裕美子)

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